路傍の石 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑 Ver.2

いままで見てきたものをupしたいと思います。

西館翫水の墓

西館翫水 ( 1835 ~ 80、諱 建哲 ) は天保6年に弘前藩津軽家の藩士・高倉盛儀と津軽多膳娘の次男として生まれ、10歳で西館本家の養子となります。
家督を継ぐと諸役を歴任し、次第に藩主・承昭の信任を得て、慶応元年 ( 1865 ) に家老職に就任しました。


徳川幕府が倒壊し、慶応 4年に奥羽越列藩同盟が結成されると津軽藩もこれに加わりますが、京都出役西館孤清の活動により藩主が官軍支持に方針を変えると、翫水は藩主の意を受けて家中の説得にあたりました。


その結果、津軽藩は新政府から奥羽触頭に任命され、函館戦争の尖兵を務め、翫水は藩兵を率いて転戦しました。


明治 2年 ( 1869 ) の版籍奉還後、翫水は入れ札によって津軽藩大参事に就任しますが同 4年に職を辞し、同 11年には妻子を引き連れて東京に寄寓しました。


明治 13年 10月 29日に没し、長寿寺に葬られました ( 享年 46歳 ) 。


( 西館 建久 / 西舘 孤清 )


( 西館 建久 / 西舘 孤清 ) の妻。


( 撮影 2022. 10. 22 )