路傍の石 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑 Ver.2

いままで見てきたものをupしたいと思います。

尾道 : まかない食堂 むらちゃん

尾道市十四日元町の商店街にある「瀬戸内の地魚と たまごかけごはん まかない食堂 むらちゃん」です。


尾道名物の「でべらかれい ( 出平鰈 )」のお刺身が食べられるお店


通常は干物が有名ですが、お刺身は中々食べられません。


迷わず牡蠣フライ定食


ご飯に豚汁


⇧ 小さく見えるけど結構大きい牡蠣フライ3個 ( 大根おろしにごま油を数滴落とした方が良いそうです / お店の大将談) と生たまご


牡蠣フライもメッチャ美味しかったです。


⇧ 左から、揚げたてさつま揚げ、真ん中分は忘れちゃった、右側が白菜の漬物にデベラの干物炙りが入ってました ( 香ばしくて美味しい )


上記 3枚の画像が定食セットです。


⇧ でべら海鮮丼 ( これと豚汁に 3点のおかず付き )
( 撮影 2020. 1. 11. )


小森和子の墓

豊島区駒込の染井霊園にある「 ( 小森の ) おばちゃま」こと、小森和子の墓です。


小森 和子(こもり かずこ、1909年(明治42年)11月11日 - 2005年(平成17年)1月8日)は、映画評論家、タレント。 旧姓は安彦(あびこ)。愛称は「(小森の)おばちゃま」。


プロフィール
生い立ち
東京府東京市赤坂区(今の東京都港区赤坂)に生まれ育つ。実家は裕福であった。小学校は赤坂区内に通い、当時麻布区にあった東京府立第三高等女学校(現・東京都立駒場高等学校)を卒業した、今風に言えば港区育ちである。高等女学校卒業後、『婦人公論』誌編集部で見習い記者を務める。
(wikiより)


小森和子


⇧⇩ 小森和子本人の戒名は無く左側面に墓誌がのみが刻されている。


( 撮影 2022. 1. 22. )

高知 : 鍋焼きラーメン千秋

高知駅から数分の場所にある行列必須のお店です。


メニューは
鍋焼きラーメン
並   ( 半玉 )
大   ( 1玉 )
特大  ( 1.5玉 )


ご飯
ミニ ( 70円 )
小    ( 120円 )
中    ( 200円 )
大    ( 300円 )
チャンジャ 300円


ラーメンとご飯が定番みたいで麺を食べ終わってから、ご飯を入れたり色々な食べ方が有るようです。


僕はラーメンを並・ミニご飯にしましたが、かなり少なかったです。


※ 注意 鍋はメチャメチャ熱いので触れたりしませんように。


⇧ 熱々の鍋が出て来るので木製の鍋敷きがありました。


( 撮影 2024. 3. 1 )




堂埼教会

堂崎天主堂(どうざきてんしゅどう)は、長崎県五島市の福江島にあるキリスト教(カトリック教会)の聖堂である。江戸時代からのキリスト教禁教令廃止以降、五島列島で最初に建てられた聖堂で、1974年(昭和49年)に堂崎教会(どうざききょうかい)の名称で長崎県指定有形文化財に指定され[1]、現在は堂崎天主堂キリシタン資料館として活用されている[2][3]。


⇧ 教会内は撮影禁止となっていました。


( 撮影 2021. 11. 7. )

山岡久乃の墓

山岡 久乃(やまおか ひさの、1926年8月27日[1] - 1999年2月15日)は、日本の女優。


東京府東京市大森区馬込生まれ。身長162cm、体重49kg。趣味は乗馬、手芸。特技はスキー。過去の出演作品については権利継承者である養女からオフィス天童[2]に委任されている。生涯のテレビドラマ本数は400本以上にも上る。


来歴・人物
役者デビュー
1942年、33期生として宝塚音楽舞踊学校に入学。男役志望で清澄あきらの芸名も予定していたが、太平洋戦争が勃発・進展により劇団生活に限界を感じ、一度も舞台に立つことなく1944年に音楽学校を中途退学する。


終戦後改めて俳優座養成所で演技の勉強をし直し、1946年俳優座に正式入団[3]。同年の『文化議員』で初舞台を踏む。初出演映画は1953年の『やっさもっさ』である。1954年には、同じ俳優座の準劇団員だった東恵美子、初井言榮らとともに劇団青年座を結成[1]。その後、日活と専属契約を結び多くの映画に出演し、青年座創生期は屋台骨として劇団を支える。以来、舞台をはじめ映像分野でも幅広く活躍する総合女優として活躍した。


1956年、同じ青年座創立メンバーだった俳優の森塚敏と結婚するも1971年に離婚した。離婚と同年、青年座を退団[1]。その後は終世独身を通した。
(wikiより)


山岡久乃 ( 左側 )